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溢れ出る思い… あずささんからのお手紙

2024年04月27日 |  みんなの体験

みなさん、こんにちは。兵庫県在住のあずさといいます。

昨年秋の高野山ロングリトリートで初めてシュリカリと出会い、この3月にはペナン島でのリトリートに参加しました。帰国して 1 週間とすこしが経ちました。改めて、この半年間のあいだ、自分に起こった変化を振り返ってみようと思います。

よければお付き合いください!

(たくさん書いてくださいました。PDFでもご覧いただけます。)

 

●体は知ってる

昨年秋、シュリカリのロングリトリートの申し込みフォームをクリックしたときの私は、いろいろあって、心身ともにボロボロの状態でした。

初めて心理カウンセリングを頼ったのですが、そこで言われた言葉は「あなたは、今休む時です」。でも、それに対する私の返事は「休むってなんですか?どうすればいいんですか?」でした。39年生きてきて、自分を休ませる方法を知らない。このことを真正面から受け入れたとき、結構なショックを受けました。

休めるようになりたい。でも、その方法が分からない。

これまでの生き方が正解じゃないということだけは分かる。でもどうすればいいのか分からない。そう途方に暮れていた時、偶然目にした高野山リトリートの告知を見て、私はあのとき藁にもすがる思いで、申し込みフォームをクリックしたんです。

初めてシュリカリのシャヴァーサナを目にしたときの衝撃を、私は今でも忘れません。

大の字になって寝る、って、いつのまにか私の中ではちいさな子供だけがするもの、みたいになっていたんです。大人がするものではない、と。誰に制限されたわけでもないのに…。

実際に報恩院さんの畳のうえで、思いきり大の字になって寝たとき、なんだか泣きそうになりました。

自分に体があったことを思い出した、そんな感じでした。こうして、手と足を自由に伸ばせば、こんなに気持ちよさを感じられる自分が、ずっといてくれたのに、私はその自分の存在を、忘れていたんだなあ、と思いました。

長いあいだ、ほったらかしにして、ごめんね。自分に対して、そう謝りたいような気持ちにもなりました。

Amazon の「今売れ筋のリラックスグッズ」ページを必死でスクロールしている時間があれば、こうして大の字になって横になればよかったのか。そう思いました。何もいらない、アロマオイルも、マッサージローラーも、いらない。自分の体、これがあればよかったのか、と気づいた瞬間でした。シュリカリヨガは、反復のヨガだな、と思います。

同じ動きを、何度も繰り返して、体に覚えさせていく。意識よりも先に、体に動いてもらう。そうしていると、頭の中のもやもやが、ヨガが終わったころには、不思議なくらいなくなっているんです。

私は昔しんどかった頃、何度も「瞑想のやり方」なるものを検索して試したことがありました。でも、一度もうまくいったことはありませんでした。

シュリカリのヨガを終えたあとはいつも、感覚的なんですが、「瞑想」という言葉がしっくりきます。何にも邪魔されない、要らないものが何もない場所に、シュリカリのヨガはいつも私を連れていってくれます。

自分の中が空っぽになる、と、ペナン島のアシュラムで出会った外国人には精一杯の英語でそう伝えましたが、ほんとうにそんな感じなんです。

この感覚はまだまだ一時的で、ヨガが終わってしばらく経つと、また不必要な考えや固定観念に自分で自分を縛ってしまっていることに気づくことが多々あります。

でも、ずっとそうして生きてきたんだから、長年そう自分をプログラミングして生きてきたんだから、仕方がないよね、と、これもシュリカリに出会ってから思えるようになりました。そんな簡単に、長年の呪縛から解き放てるわけがないよね、と。むしろ、人間という生き物の変化に、どんな場合であれ「即効性」があってたまるか、とも今、思っています。

「タイパ」なる言葉が溢れる昨今ですが、時間をかけて、慈しみながら、自分を育てていく、養っていくことを歓迎して生きていきたいです。“繰り返し繰り返し、反復することで自分の人生の土台を養っていく”、とは、高野山のロングリトリートでともこ先生から教わった言葉です。こんなふうに穏やかな心で自分の人生を見つめられる日が来るとは、あの申し込みフォームをクリックした日の私は、ついぞ思ってもいませんでした。

つづく

 

●私は尊い。あなたも尊い。

“自分を敬う”

シュリカリでこの言葉に出会い、シャヴァーサナ同様、私は衝撃を受けました。

自分を敬う、なんて、それまで考えたこともなかったからです。

私は幼少期の家庭環境が少々複雑で、幼いころは、「私が悪い子なせいだ。ごめんなさい」がずっと心の中にありました。

この“自分を責める”が、まさに大人になるまで自分自身を縛ってきたことに、ようやく気づき始めた頃、私はシュリカリと出会ったのでした。私は償わなければいけない。ふつうに生きるには、人の何倍も努力して、頑張らなくてはいけない。無意識に、私は幼少期からずっとこんな言葉を自分自身にかけながら生きてきたことに気づきました。

だから、“自分を敬う”なんていうことは、それまでの自分には、考えられないことでした。

自分は敬われるべき存在なんかではない、という大前提が私の中にあったんだと思います。

でも、シュリカリに出会ったタイミングは、ちょうど私が、その長年自分の中に巣食ってきたプログラムに気づき、それを解き放ちたい、と願い始めた頃でした。自分が倒れるまで働いたり、どう頑張っても心地よく生きられない原因の一部はここにある、とやっと気づき始めた頃でもありました。

初めて足を踏み入れた高野山で、シュリカリのヨガを経験して、私は“自分を慈しむ”ということを意識よりも先に体で学んだ気がします。

こんなに心地よさを感じられる自分がいたんだと、私はシュリカリヨガに教えてもらいました。これは、生まれて初めての発見、経験でした。

リラックスがどんなものか、「休む」がどんなものか、私は知らなかったんだ。そのことにも気づかせてもらえました。

“自己肯定感”とか“自分軸”、“アダルトチルドレン”などなど、それまでインターネットで検索した言葉・回数は数知れず、です。

目的はいつも同じで、「今よりすこしでも楽になりたい、幸せに生きたい、だからその方法を知りたい」でした。

検索するたび、そこに表示される言葉を必死になって読んで、なんとか答えに辿りつきたい、自分を助けてくれる正解を見つけたい、と願っていました。でも、どうしてかいつまで経っても楽にはなりませんでした。

むしろ出てくるワードが頭の中に次々と溜まっていって、気づいたら錆びたネジがごちゃごちゃと山積みになってる、そんな状態になっていました。

自分が楽に生きていくために必要だと思っていた言葉たちは、むしろ自分が楽に生きていくには不必要だったのかもしれないなと、今思います。

楽になるために、幸せになるために、必死になって、自分に負荷をかけて、無理をする、プッシュする。本末転倒なことを、なんと長い間、わたしは繰り返してきたんだろうと思います。

シュリカリヨガに出会って、私はこれまで自分が必死で探してきた答えがここにあった、と思いました。今では、“自己肯定感”という言葉が本当にどうでもよくなりました。必要がなくなりました。肯定する、しない以前に、自分が敬われるべき、尊い存在だということに気づいたからです。

そんな存在に、意識の上で肯定とか否定をするなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ!と、今は思います。

昨年12月から3月までは、シュリカリの「オンラインメンバーシップ」に参加しました。

毎月2回、ともこ先生やシュリカリの仲間とオンラインでつながりながら、ヨガを実践したり、サットサンガでお話ししたりしました。

そこでともこ先生から「カルマ」の話を聞いたとき、胸の奥の奥から、熱いものがガーッとこみ上げてくるのを感じて、自分を敬うことの大切さをさらに感じるきっかけになりました。

私が私として生まれてきたことの、神聖さ、尊さ。それはもちろんすべての人にいえることで、私たちは皆ほんとうにすばらしい存在なんだということ。

生まれてきた私、すごいね、私もあなたもすごいね、と、私は今、毎日思えるんです。

シュリカリと出会ってなければ、私は今もきっとスマホ画面とにらめっこして、いろんなワードを検索して、頭の中に要らないネジを溜めていっていたと思います。

シュリカリとの出会いは、私に、本当に必要なものは何か、マボロシは何か、ということを考えさせてくれる、大きなきっかけを与えてくれたと思っています。

つづく

 

● 私はもう持ってる

シュリカリと出会って気づいたもう1つの大きなことは、「私はすでに持っている」ということでした。

私は幸せになるために、もうちょっとでも楽に生きていくためにと、まるで望遠鏡でも覗くようにして、必死に外の世界を見てきました。

いろんなものを買ったり、いろんなことを気にしたり。今度こそ、と期待して試したり…。でも、振り返れば、どれも悉くうまくいきませんでした。

シュリカリに出会って、自分の体を思い出して、私は、もう十分自分を幸せにすることができる、そのために必要なものは、すでに持ってる、と気づくことができました。同時に、もうひとつ大きな発見をしました。自分が生まれ、住んでいる、この日本という国についてです。

正直、私はそれまで、旅行といえばヨーロッパばかりで、あまり日本、そしてアジアの国々に興味を持ったことはありませんでした。

ヨーロッパのきれいな街並みに憧れ、福祉や動物愛護の制度を知るたびに、「日本は遅れている」と、自分の国をどこか卑下していました。でも、シュリカリに出会って、私の、自分の国・日本に対する見方は変わりました。

私自身が忘れていた、日本に今もなお残るすばらしいものたちの存在を、シュリカリは改めて思い出させてくれました。

たとえば私は昔柔道をしていましたが、冬の朝、帯を締めて正座をし、青畳の上に座ってしずかに呼吸する時間が、とても気持ちよかったこと。あの時間は、まさに「静けさ」を自分の中に取り入れる、伝統的で大切な時間だったのだなと、今思います。そんなふうに考えたことは、これまでなかったのですが。

高野山のロングリトリートでは、後半、律子先生の指導のもと、皆で俳句を詠みました。

「季語って日本のパワーワードなんだよ」という律子先生の言葉は、今でも忘れることができません。『虫』、『夜長』、『流れ星』…これらが秋の季語だったなんて、あの日がなければ知る由もなかったです。日本に住む人たちが培ってきた感性、昔からずっとあった景色に、思いを馳せるたのしさを教えてくれました。日本って素敵な国だな、と、あのリトリート以来、少しずつ思えるようになりました。

古くから日本に受け継がれてきた武道、華道、茶道はもちろん、着物の柄や布地、大事にされてきた言葉や習慣など、それまで意識していなかった事柄に、自然とアンテナが向くようになったのも、シュリカリと出会ってからのことです。今では、散歩中にふと目に入る近所の家の瓦屋根や、遠くから聞こえてくるお寺の鐘の音、お味噌汁やお漬物の美味しさ…いろんなことに、心躍るようなありがたみを感じられるようになりました。

ともこ先生がよく口にされる、「精神性」。

私は自分を敬うことができるようになると同時に、日本人である自分、アジア人である自分、というものに誇りを持てるようになった気がしています。長らくこの国で培われ、養われてきた精神性や伝統文化を、できるだけ私の人生でも育てていきたい。そんなふうに思えるようになりました。

あんなにも外側ばかりに目を向けて、「私にはあれが足りない、これも足りない、全然ダメ」と日々思っていた私は、自分に対して、なんてかわいそうな生き方をしてきてしまったんだろうなと、今思っています。

私には自分自身がついているし、それにここは日本だ。もう十分持ってる、揃ってる。

今は心からそう思えています。

つづく

 

●学びつづけていくこと

ペナン島でのリトリートの最中、ともこ先生から言って頂いたこと。
「学びつづけること、継続することが、いちばん大事」

あれ以来、この言葉を胸の中でよく反芻します。

ここまで色々と自分の経験を綴ってきましたが、シュリカリの教えに接しながら、私にはまだまだ分からないこと、知らない言葉、理解ができないこと、頭の中が「????」でいっぱいになることがたくさんあります。

今も、ややもすると、“不必要なことに参加”しそうになっている自分に気づくこともあります。時にはささいなことで動揺したり、戸惑ったり。私の学びは、まだまだ今始まったばかりです。シュリカリの教えを学びつづけていくことは、「自分自身の土台を養っていくこと」そのものなのではないか、と考えています。

「効率よく」「メリット/デメリット」「時短」「手軽に」「たった 1 回で」などなど、今は普通に生活しているだけで、そんな言葉が目にも耳にもどんどん入って来て、まるで何かに急かされてでもいるような気持ちになることがあります。

以前の私は、知らず知らず、このスピード感に自分を合わせようとしてしまっていました。

このスピード感についていけない、へとへとになっている自分を、心のどこかで責めていました。「機械のように自分を扱う」、本当にその通りだったなと、今思います。シュリカリの教えと出会えた今、自分にとって、必要なこと、不必要なことは何なのか?何が真実で、何がマボロシなのか? 答えはちゃんと自分が知っていると、そう思えるようになりました。

オンラインメンバーシップの中で、ともこ先生はこんな風にもおっしゃっていました。「学びっていうのは、知識や情報を受け取ることではなく、自分の生き方をそれによって変えていくこと」

繰り返して繰り返して、シュリカリの教えを自分の中に根付かせていきたいです。

そして、自分の文化を、時間をかけて養っていきたいです。

雨が降っても風が吹いても、揺らぐことがない根っこや幹、どっしりとした人生の基盤を、シュリカリの教えとともに育んでいきたいです。そのために、これからも学びを深めていきたいと思っています。

8月には、高野山での指導者養成コースに参加予定です。

指導者になりたい、というよりは、シュリカリについてもっと学びたい、知りたい、という気持ちからです。

どんな出会いや発見、新たな気づきが待っているのか・・・今からドキドキしています。すべての経験が、私の学びとなっていくのだと思います。

ともこ先生、そしてシュリカリの仲間のみなさん、これから仲間になるみなさん、

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

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