大切な気づき 真理子さんからのお手紙
こんにちは、山本真理子です。
又やって来ました⋆*
これから夏本番ですが既に夏バテしてないですか?バテ気味ならビーチヨガに夕涼みにいらして下さい。普段の元気を取り戻しましょう!平らなアスファルト生活で失われた筋力や柔軟性、そしてバランス感覚は、でこぼこした砂浜を歩くだけでも取り戻せますよ!
近代は便利になり暑ければクーラーに頼り、寒ければ暖房やファンヒーター、暇になればTVだけでなくYouTubeやスマホと機械化が進んでいます。リモコンに手を伸ばすだけでなく「アレクサ!◯◯して!」と体を使わず何でもON/OFFする時代。そして今はコンビニやスーパー等で手軽に買い物が出来、それさえもスマート化しています。皆さんはこの便利な時代をどう思いますか?
前回書いたお便りで「古き良き時代」と文字にしましたが、こんなに便利な時代と感じているのに何故、まだ昔の日本を古き良き時代と感じるのでしょうか?
スーパーも無く、竿を車で売りに来る時代、八百屋や魚屋、精肉店、果物屋など個人店に買いに行き、暑い時には氷屋さん、寒くなると焼き芋屋さんが回って来た時代は今よりもずっと不便だと感じるにも関わらず何故良い時代と思えるのでしょうか?
シュリカリヨガはそんな些細で普段の忙しさに紛れてしまう、大切な何かを気付かせてくれます。
古き良き時代とは、日本の文化が深く関わっていると感じます。初詣やひな祭り、と行事もあれば、剣道や空手、お花やお茶などお稽古事もあり、結婚式やお葬式の様な宗教的な事も、他にも囲炉裏や炊飯など生活する中でも沢山の文化があります。日本の文化と聞いて個々に感じる事があると思いますが、1つ1つの意味を紐解いて正しく理解していくと、良き時代とは何なのか答えを見つける事ができます。
不便が良くて便利が悪いと言っているのではなく、私たち自身の扱い方で大きく変わります。
便利とは、大切な部分を切り取ってしまい世界や自分達を雑に扱ってしまいます。私たちは、便利さ故に心を失ってしまいます。また、その事に気付けず無自覚に便利さを求め続けてしまいます。
私は正しく理解する事が難しい時代だからこそ、簡単に検索出来る端末ではなくシュリカリで学ぶべき本来の知識を師匠Bhagavanや朋子先生、シュリカリ仲間から学んでいます。
真理子