I am OKを経験する 幸智子さんからのお手紙
私の意識は、自分のことに価値をもてなかった。極端な言い方をすれば、心の奥の方では、死なないから生きていただけ。そんな風に周囲から見られるのも嫌で、平たく言えば、「後ろ指を刺されないように…」他人の目を気にしながら、生きている自分を誰も突っ込めないように包囲していたという感じ。
だから、仕事と子育てと、自分を忙しくして、そのようなことに気がつかないように… 自分でもすっかり忘れていた。
2016年初めての高野山リトリートで、アーサナしているとき、「生きていていいんだ。」と感じた。
2017年最初のTTを受けて「これで怖いものなし。」になったと思った。
けれど、「自分」という内側の旅は、本当の内側を正直に私に見せ始めてくる。
「見せ始めてもいい。」そう無意識と身体が判断したのだろう。私の意識は、苦しみと逃避と向き合いなどしながら、無意識と身体は、Shri Kaliのヨガを求めた。
そんなことしながら、6年。頭では、「怖れを手放す。」言葉の意味は理解できるが、心、無意識、身体、生活習慣は、いい時もあれば、悪い時もあった。本当の怖れは、手放せていなかった。苦しかった。でも、無意識と身体は、ヨガを求め、朋子先生は、ゆっくり見守ってくれた。
体調を崩し、仕事は、リタイヤ。時間はたっぷり、子どもたちもそれぞれに巣立ち、私の意識は、ペナン島:タントラメラに行きたいとは思はないのに「今年(2024)いかなきゃいけない。」腹から聞こえてくる。トランジットの経験もなく、英語も聞けない話せない。ネットの基本的なこともわかっていない。さらに、退職後の引きこもり生活真っ最中 自堕落な生活をしていた。
朋子先生や他のヨガの先生にも、助けてもらいタントラメラに行った。「師匠バガヴァンと面談 希望なら、しますよ。」と…
何をいいたいのか 考えた。一生懸命に考えた。「助けて」だった。
ああ自分の情動(:怖いとか悲しいとか)が困った時に「助けて」と言ってもいいんだ。ということが全部の自分でわかった。経験したともいうのか… ああ私が、5歳ごろ「自分の本性は、ダメなんだ。」とすり込みしたとき、言いたかったのは、この一言だった。「怖かった。助けて。」泣いた。肩甲骨の間の奥のほうで固まっていた何かが、溶けていく感覚だった。
私は、新しい自分になったと感じた。
私には、師匠バガヴァンと朋子先生がいて、Shri Kali の教えとヨガの練習の積み重ねがあった。
しかし、そこから、一直線に自分自身を開放できていくわけでもなく、いい時、悪い時がありながら、「私は幸智子。それでいいのだ。」ということが、自分の土台の中にある。そこがぶれなくなった。そんな経験をした。
タントラメラや Shri Kali のヨガからの学びでした。
読んでいただき、ありがとうございます。
髙田幸智子